ひろゆきのいじめ加害者隔離に賛成!まずはGACKT指摘の「減点方式」を変えるべき

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ひろゆきのいじめ加害者隔離に賛成!まずはGACKT指摘の「減点方式」を変えるべき
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いじめの問題は、なぜ令和になっても繰り返されるのか。
なぜ、学校はいじめを隠し続けるのか。

2026年1月23日現在、SNSでは、GACKT氏による学校や教育委員会の評価が「減点方式」であることを指摘する投稿や、ひろゆき氏の「加害者隔離案」が話題になっています。

かつて刑事事件に携わる現場で多くの犯罪の態様を見てきた筆者からすると、「いじめは犯罪」だと思います。

なぜ日本は、加害者が守られ、被害者が逃げ場を失う構造のままなのでしょうか?

今回は、GACKT・ひろゆき両氏の発言をヒントに、いじめの対処法、学校組織の闇、法曹の視点から考えるいじめについて、筆者なりの考えを書き記してみました。

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目次

ひろゆきの考え「加害者を隔離」に賛成

ひろゆき氏の「いじめ加害者を隔離(別室登校)すべき」という持論が話題になっています。
(ひろゆきさんがこの持論を展開したのは、けっこう前のことだったと思うのですが。)

【動画の発言要旨】

いじめは、加害者を学校から排除したほうが、なくなる可能性が高い。

被害者は適当に選ばれるが、加害者はだいたい同一。
被害者を守っても、今度は別の誰かがいじめられる。

フランスの場合は、加害者(リーダー格)を強制転校させたり別室に送ったりする。
リーダーを排除すると、周りにいたやつもデメリットの大きさに気づき、いじめなくなる。

被害者を守っても、加害者側にいじめをやめない理由=デメリットがない。

日本はなぜか「いじめをなかったことにする」が、文科省なり日教組なりが頑張れば、加害者を隔離する仕組みはちゃんと作れるはず

ひろゆき氏のこの提案は、被害者が隔離されがちな日本の現状に一石を投じ、SNSでも「ひろゆきに賛成!」という引用ポストが多くついています。

今の日本では、いじめられた側が、不登校になったり保健室登校や転校を選択して、加害者から物理的に距離をとるケースがあります。

なぜ被害を受けた側が、勉強の機会や友達との交流を制限されて、通い慣れた学校を追われなければならないのでしょうか。
親御さんだって、手続きに時間を取られたり、場合によっては引っ越しをしたり。
なぜ悲しい思いをしている被害者側が、より大変な目に遭わなければならないの?

本来、ペナルティを受けるべきは加害者です

いじめてる側をこそ隔離して、被害者やこれまでの日常生活から距離を置く、そして周りからも「あいつはヤバいやつだ」と知れ渡ることになる。
それによって「いじめは、自分たちの居場所を失うほど大きなデメリットがある行為だ」と骨身に染みて理解させるべきだと思います。

加害者が何のおとがめもなく、昨日までと同じ日常を平然と謳歌している。

そんな不条理がまかり通る社会を、これ以上放置してはいけないと思います。

【一覧表】先進各国のいじめ対応

いじめは世界中どこにでもあるものです。

ひろゆき氏は動画でフランスの例を挙げていましたが、先進各国のいじめへの対応について、簡単に調べてみました。

国名いじめの捉え方加害者へのペナルティ特徴的な取り組み
フランス「犯罪」として扱う・強制転校、退学処分
・懲役(最大10年)、罰金(最大約2370万円)
・2022年の法改正で厳罰化
・加害者を物理的に排除する仕組み
韓国法に基づき厳格に運用・9段階の処分(出席停止・転校・退学など)
・加害記録は大学入試に反映される(2026年から)
担任ではなく専門教師や地域の審議会が中立に裁定する
アメリカモンタナ以外の49州で「いじめ反対法」が制定・停学・転校
・深刻な場合は犯罪者として扱い、前科がつくことも
・禁止よりも、望ましい行動を奨励する教育的アプローチをとっている
・専門トレーナーによる指導
イギリス
(いじめが多い国)
社会的・市民的権利の侵害監視カメラ設置、保護者の校内巡回、いじめ対策方針への合意署名・社会でどのように振る舞うべきかを学ぶ必修科目がある
・その結果、傍観者ではなく仲裁者が増えている
フィンランド
(いじめ対策先進国)
環境づくりの失敗いじめに至った理由を考える時間を設け、行動の背景を理解させる・いじめが起きない環境づくりを重視
・被害減少が証明された全員参加型教育「KiVaプログラム」
ノルウェー国家プロジェクト・学校はいじめ発覚から5日以内の対応義務
・不十分な場合は国が監査・調査
対策を行う学校へ国が補助金を出す「いじめゼロ」への本気度
日本教育的配慮(担任任せ)・謝罪、反省文、学級会
・出席停止などは極めてまれ
2013年に推進法ができるも、いじめの存在を否定する「隠ぺい」が絶えない

GACKTが指摘する 学校の「減点方式」

2026年1月22日、SNSではGACKT氏のポストが話題を呼んでいます。

最近、いじめや暴行の現場を捉えた動画がSNSで拡散され、それにより学校側がいじめの存在を認める事例が相次いでいますが、GACKT氏は「動画の拡散の是非」を論じることは本質ではないと断じました。

GACKT氏は、学校や教育委員会の「減点方式」の評価システムに問題があるとしています。
評価システムが「減点方式」であるがために、

  • いじめの存在=不祥事を認めれば、組織の評価が下がり、人事、評価、予算、立場にマイナスがつく
  • だから、学校がいじめの存在を認めない
  • あるいは、いじめの隠ぺいや先延ばしといった対応が繰り返される

ことを指摘しました。

GACKT氏は、子どもの人生ではなく「自分たちの点数」を守ろうとする組織の異常性に切り込んでいます。

ひろゆき氏が提唱する加害者の隔離」は非常に有効な手段だと思うのですが、実行するには、まず学校がいじめの存在を認めなければなりません。
しかし、GACKT氏が指摘する「減点方式」が壁となり、スタート地点にすら立てないのが現状です。

教師も一人の労働者であり、組織の一員です。
正義感だけで動けるわけではなく、上司や組織の評価、周囲への影響を考えれば、自分に不利益が及ぶ行動には慎重にならざるを得ません。
個人のペナルティだけでなく「学校全体の評価」に関わるのであれば、なおさらです。

それならば、この評価を「加点方式」に変えられないのでしょうか

いじめゼロが理想ですが、起きてしまった際に「いじめを早期発見し、迅速に解決した」ことをプラス査定にする。
そうすれば、学校は隠すよりも動くことにメリットを感じるようになります。

学校の対応力を評価する仕組みは、いじめの存在を否定したり、対応を先延ばしにする現状を打破するカギになるのではないでしょうか。

もしも「いじめがない学校は加点のチャンスがなくて不公平だ」という議論が出るのだったら、色々とガッカリしますが。

教育委員会、あるいは文部科学省や日教組(日本教職員組合)。
どの組織の規則や条例を改正すれば、この「守るべきものを間違えた評価システム」を変えられるのでしょうか。

刑事事件に詳しい筆者が思う「いじめは犯罪」

実は筆者はかつて、刑事事件に詳しい仕事をしていました(詳細は伏せます)

その視点から思うのですが、学校を一歩出れば「犯罪」である行為が、なぜ校内では「いじめ」というあいまいな言葉にすり替えられ、加害者が守られるのでしょうか。

「いじめ」は犯罪の例
  • 人が人を殴れば「暴行」や「傷害」
  • 言葉の暴力も、心に傷を負わせたという点では「暴行」や「傷害」になり得る
  • 行動やお金を強要したり要求すれば、「強要」、「脅迫」、「恐喝」
  • SNSを使ったサイバーいじめは「名誉毀損」や「侮辱」、「脅迫」
  • 他人の持ち物を壊せば「器物損壊」
  • 他人の持ち物を元あった場所から持ち去って隠せば「窃盗」

これらはすべて、法に抵触する刑事事件です。
未成年だって、警察に補導されたり、裁判官から処分を受けて保護観察処分になったり少年鑑別所に入ったりする犯罪です。
警察はこれらの事実をずっと「非行歴」「犯罪歴」として把握します。
(逮捕されるのは、よほどの重大事件でしょうが。)

それなのに、今ネット上で批判を浴びている名古屋市教育委員長の発言には耳を疑いました。
いじめで命を絶った女の子の遺族に対して、「いじめた側の生徒のことを加害者と呼ぶのは勘弁してください」と言ったのです。

被害者と遺族がこれほどまでに追い詰められているのに、なぜ加害者の呼称をケアしなければならないのでしょうか。
「加害者」と呼ぶのが不適切だと言うのなら、刑事手続上の呼び方にならって「被疑者」と呼べばいいですか?

学校は治外法権ではありません。

「(加害者も被害者も)子ども同士のことだから」とか「教育的配慮」とか「加害者の人権」などと言って、社会に公表しないよう隠すのはおかしいと思います。

筆者は、もし自分の子どもがいじめに遭って、学校が動かないのであれば、迷わず警察に被害届を出します。

それも選択肢かもしれませんよ。

まとめ

ひろゆき氏の持論やGACKT氏のポスト、そして僭越ながら筆者の経験と私見を元にいじめ問題を整理すると、解決への道筋はわりとシンプルでした。
(「シンプル」だけど「簡単」とは言えない。)

「いじめ」解決への道筋
  • 加害者の方を隔離・排除し、物理的に被害者を守ること(ひろゆき氏の提言)
  • 学校や教育委員会の「減点方式」の評価システムを変えること(GACKT氏の指摘)
  • いじめを犯罪として認識し、法の正義を学校に持ち込むこと(筆者の私見)

学校という組織が加害者を守るために被害者を切り捨てるのであれば、もう教育現場だけに解決を委ねる段階は過ぎています。

「加害者と呼ぶな」という言葉が、誰を守るためのものなのか。

社会が本当に守るべきは、学校の体裁や評価ではなく、今この瞬間も絶望の淵にいる子どもたちの未来であるはずです!

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